海に出るということ

「板子一枚下は地獄」 と言われる海に、
自分達が操る船に乗って出て行く時、
一緒に船に乗る仲間とは「一連托生」

自分は、この仲間達の命全部に責任を負う事ができるのか。
逆に、自分はこの仲間に命を預けることができるのか。

スキッパー(艇長)達は、メンバーにそんな決断をせまった。

操船の技術も、航海のエリアも、初歩の初歩。
中学年(いや小学校の高学年くらい)でも、できない事はないレベルである。

しかし、スキッパー(艇長)達は、中途半端な意思と答えしか
持たない人に対しては、「船には乗せない」と言い放った。

一人の気の緩みや指示を護らない行動は、艇を危険に陥らせ、
他のクルー(乗組員)の命を危険に導くのだ。
そして、スキッパーはすべての命に対して責任を負い、
決して間違いのない判断と決断を下さなければならない時があるのだ。
そこには、見栄や虚栄、そして自己満足が入り込む余地は寸分もない。

今回、自分は非常時用の連絡要員、本部待機の陸上勤務。

でも、終了時の久しぶりの達成感。
身体がつらい、ただやり遂げた!
というだけではけっして得られない達成感。

海上で、真に仲間に対して責任を持つということ、
命を預けあう仲間とは、どういうものなのかということ、
そして、油断することなく、緊張し続け、力を出しきり、
瞬時に考え抜き、仲間と助け合って、
共に、航海を達成するということ。

そんな事柄を再び思い起こさせてくれた若きスキッパー達に、
尊敬の意を表するとともに、感謝する。

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